Humanity

ある雨の日

 その男は喫茶店にいた。馴染みの喫茶店で落ち着いた雰囲気が好きだった。もちろんそこで出されるコーヒーも気に入っていた。日も沈みかけの頃、とは言っても今日は一日中曇り空で、昼と夜の区別はあまりなかった。時計を見て家に帰ろうとしたところで、雨が降ってきたので男はこの喫茶店で雨宿りをすることにしたのだ。男は、窓際の席に座り、喫茶店の中にいる人と窓の外を交互に眺めていた。
 そこへ1組の夫婦が入ってきた。子供も自立し、自由な時間が増えたであろう年頃で、顔にも余裕が漂っていた。外では、雨が降っているせいか人通りはほとんどなく、時々通りかかる車はせわしなくワイパーを動かしていた。男はこの喫茶店のゆっくり流れる時が好きだった。夫婦は軽い食事とコーヒーを注文し、他愛もない会話をしていた。
 男は、窓に伝う雨を眺めていた。すると、何がきっかけかわからないが夫婦が軽い口論となっていた。外の景色を眺めながら、会話を聞くと、なんでもうちに届いたはがきを勝手に捨てただの捨ててないだの、部外者からすると、どちらでも良い言い合いであった。そんなこともあるだろうと、男は少しにやっとした。
 外を見ると道路脇に一台の車が止まった。そこから、3人の黒い服を着た男が降りてきた。その男たちは、喫茶店の向かいにある宝石店に入っていった。男の座っている席から、黒い服を着た男たちが宝石店の店員に何かを突きつけている様子が見えた。店員は怯えた様子だったが、顔まではよく見えない。店員はすぐさま宝石の入っているガラスケースを開けると、男たちは宝石を袋に詰めだした。喫茶店の中では、夫婦の口論がヒートアップしていた。昔はこうだったとか、あのときはどうだったとか、もはやこの口論のきっかけと関係ないことを言い合っていた。窓の外では、黒い服を着た男たちの中の一人の男が店員の方へ再び何かを突きつけていた。すると、突然何かを突きつけていた男の手が反動で大きくしなった。柱の影でところどころ見えなかったが、赤い液体が宝石店の床にゆっくり広がっていくのが見えた。すると、他の黒い服を着た男たちは、その男を連れ宝石店を転がり出た。車に乗り込むと何もなかったように立ち去った。
 喫茶店では、いつの間にか夫婦の口論は終わっていた。食後のコーヒーを飲みながら再び他愛もない会話をしていた。ほどなくして、喫茶店の外にパトカーと救急車が何台もやってきた。
 喫茶店では、食事を終えた夫婦が会計を済ませて帰ろうとしていた。満足気な顔をして、二人で笑顔で店をあとにした。夫婦は、男の座っている窓の前で立ち止まり、喫茶店の前の群衆を見て、なにかあったのかねと会話をしていた。男はコーヒーを飲み終えたら帰ろうと思った。雨はすでに上がっていた。

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