Humanity

美しさの限り

 美しさとはなんだろうか。 美しいという感情はどこからやってきて、 どこへ行くのだろうか。 人にそのような感情が備わっているということは、 人が生きるうえで何らかの役に立つのだろうか。 その美しさは、 僕らをどこかへ導いてくれるのだろうか。

 そんなことを考えた絵描きが一人、 狭いアパートの一室で悶々としていた。 筆はもはや一つしか残っておらず、 絵の具は2色しかなく、 その2色も絞りだせるかどうか。 彼がキャンバスと呼ぶ壁も彼の描いた絵でうめつくされていた。 彼は、 畳の床を爪で削り絵を描いていた。 何か残そうだとか、 金になるだとかそんなことは、 考えていなかった。 ただの暇つぶしであった。 彼には、 夢があった。 その夢もいつしか忘れていた。

 そんな彼は、金にもならないことをただ妄想することしかできなかった 。彼は、社会の規律や、 世間に縛られるのは人間らしくないと思った。 それは美しさではないと思った。 それよりも、 欲深く、 本能に忠実な人のほうが人間らしいと思った。  人間のみに許された特権。  それは、  欲である。この欲こそが人を動かす。 欲がなければ、 内側から沸き上がる感情がなければ、 人は獣となんら代わりないと思った。 人間以外の生物より、  多種多様に考えの及ぶ欲。 それに忠実なのが美しいと思った。  また、  欲にまみれた人間に殺される人も美しいと思った。 誰かのうさを晴らすため、誰かの不安を全てに背負った、誰かの憎しみを全てに背負った、 そんな人が死ぬ瞬間について妄想した。 様々な欲にまみれ、 それ故に死んでいく人々もまた、 人の創りだした欲の一つだと思った。 それは最上級の、 一人の人だけでなく、 あらゆる人の小さな欲の集合体。 それは、 やがて大きな感情へと変わる。 彼は、 夜な夜な、 廃ビルの屋上や森の中にあるひと目のつかない橋へと足を運んだ。 そこには、 様々な感情が渦巻いていた。 彼には、 そこにとどまる感情が色を持って、 形をもって、 行き場を探しているように見えた。 おそらく気のせいではあるが、 確かに見えた気がした。 それを見ると心が落ち着いた。 それは美しいと思えた。 朝がやってくると彼は、 自分のアパートに帰った。 そんな日々を繰り返し、 彼は絵を描いた。 見たものや感じたものを彼の思うがままに表現した。 それを理解しもらうつもりはなかった。 ただ、 自らの欲に従い、人間の欲を描いた。 そのへんに落ちていた、 ただの紙切れ、 人間の欲を背負うには小さすぎる、そして美しすぎるそのゴミに、彼は強欲を圧縮した。 いつしか、 彼の絵は売れた。 こんなものでも売れるものなのだと思った。 金に目をくれることはなかった。 そのような欲は持ち合わせていなかった。

 彼は今まで通りの生活を送った。 彼の絵は、 より売れた。 欲を求める人間に、 何も持ち合わせていない人間に、 肥大化した自身をより肥大化させる人間に。 しかし、 空っぽを埋める人間には売れなかった。 ある日、彼は自殺した。 その狭いアパートの一室で首を釣った。 彼には身寄りはいなかったし、 親しい人間もいなかった。 彼の体を処理する業者の人間も、 欲深い人間ではあった。 しかし、 その仕事で得た金で、 その人間は今日も誰かを支えている。


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